紀元前6世紀の古代中国。周王朝の弱体化により、諸国が覇権をかけて凌ぎを削っていた春秋時代。中国史上比類なき乱世に、大きな身分差、年齢差を超え、一人の男と女が恋に落ちる。男は魯の名高き将軍・孔叔梁(こうしゅくりょう)、女は斉の官営酒蔵で働いていた奴隷・顔徴在(がんちょうざい)。やがて二人の間には男の子が産まれ、孔丘(こうきゅう)と名づけられた。2500年もたった今もなお、人々に生きるべき道を示し続ける聖人・孔子の誕生である。
孔叔梁の戦死後、顔徴在は魯で酒店を営み、女手ひとつで孔丘を育てる。貧しいながらも幼なじみの陽虎(ようこ)、少正卯と(しょうせいぼう)無邪気に戯れ、美少女・小姜(しょうきょう)に淡い思いを寄せる日々。魯は政治も経済も、君主・襄公(じょうこう)の手を離れ、季孫(きそん)・叔孫(しゅくそん)・孟孫(もうそん)の三桓氏(さんかんし)に掌握されていた。
孤高の知識人・季札(きさつ)に学び、ともに旅をした孔丘。師との死別後、青年となって魯に戻った孔丘を待っていたのは、母の死だった。遺言に従い、父と合葬するため、棺をひき、墓の場所を尋ね歩く姿は異様でさえあったが、季孫意如(きそんいじょ)は“孝"の精神を評価する。
季孫家の家老におさまり配下を増やす陽虎。天才的な策謀と話術を武器に、孔丘と同じく官職を得た少正卯。小姜はそんな二人の間で人生を翻弄され、堕ちてゆく。
父の遺言通り、宋の幵官(けんかん)氏を妻に迎え、息子・孔鯉(こうり)にも恵まれた孔丘のもとには、剣の達人・子路(しろ)をはじめ、逸材の弟子たちが集まり始めた。
陽虎が先導した謀反、それを抑えるために周辺6国より送り込まれた兵。孔丘は弟子とともにそれらの難題を解決し、民を一番に考えた良政を実行する。しかし貴族たちの欲と不実はやむことはなかった。孔丘は齢50にして、魯を出て諸国を巡り、仁義の火種を皆に伝えようと決心する。
王の美しき寵姫・南子(なんし)との苦い邂逅、餓死を覚悟した苦境―孔丘はついに安住の地を得ることなく、14年目に涙の帰国を果たす。最期の時を迎えた彼が行き着いた境地とは……